プロフィール

Author:coolhand
性別:男
年齢:26歳
所在地:大阪市
職業:営業
趣味:バンド(ギター担当。腕前は初級の上くらい)
   音楽(メタル・ハードロック・プログレ
      が多い。基本的には気に入れば何でも)
   読書(人文・哲学・小説など)

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ロストマン

ユグドラシル ユグドラシル
BUMP OF CHICKEN (2004/08/25)
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2004年 日本

バンプ・オブ・チキン(以下バンプ)は、デビュー当初に比べれば確かに洗練されてきた。古くからのファンはそれを嫌がるが、悲しいかな時間は過ぎてゆき、だれもが年をとり成熟してゆくものだ。

「K」や「グングニル」「グロリアス・レボリューション」といった名曲疾走ナンバーを有する「LIVING DEAD」の頃に比べれば、この作品は腰を落ち着けて聴く内容になっていると思う。もちろん、大枠では変わっていないのだが、比較をすればそういうことになる。

個人的な感情で言うと、大学生の頃に聞いた「LIVING DEAD」では「グングニル」の歌詞にハッとして胸をえぐられるような熱い思いを呼び覚まされたものだった。それは恐れを知らない若さ(逆に言えば青さ)の叫びだった。

もちろん今でも、「グングニル」を聴くと相変わらず胸が熱くなる。だが、時が流れて社会人となった自分にとっては、この「ユグドラシル」の「ギルド」を聴いて、その歌詞とどこか悲しげな、しかし優しげなメロディに自分の状況を重ね合わせることのほうがよりリアルなのだ。

利己的な人間の醜さをハードでダークなロックに仕上げた「乗車権」、「fire sign」など、おそらくバンドメンバーも年を重ねたがゆえであろう深みのある歌詞を書いている。

その最たるものが「ロストマン」だ。

「ロストマン」というのは何を意味するのだろう。
生きていき成長していく中で切り捨てていった自分自身、失われた自分のことなのだろうか。

失いたくない純粋な思いや、抱いていた夢などを少しずつすり減らしながら、自分は少しずつ変化してゆく。

本当にこれでよかったのだろうか?と時々不安になる。そして、捨てていった自分の一部たちが「ロストマン」

「これでよかったのか?」自問自答しながらも、自分にできる精一杯の選択をしながら、人は生きてゆく。

その選択の積み重ねこそが人生なのだ。進んできた道に間違いがあったとしても、その間違いすらもまた人生なのだ。そして僕らは進んでいく。「ロストマン」に別れを告げ、そしていつかまた、残していった自分と再会できることを祈りながら・・

だれもがこの歌詞を自分に重ね合わせるだろう。僕もまたそうだった。人間ってそんなもんだ。それが人間ってやつなんだ。だから、精一杯やるがいいさ・・とぶっきらぼうに、しかし優しく諭されているような気分になった。

そして「ロストマン」と双璧をなす(シングル曲でもあるが)もうひとつの名曲が「sailing day」だ。

「グングニル」「ハルジオン」タイプの疾走ナンバーなのだが、歌詞は夢に向かって生きる人への応援歌、といったところか。歌詞は青臭いと言えば青臭い。

だが、「グングニル」の頃と少し違い、現実を目の当たりにしたうえでも、なお青臭い熱い心や冒険心を忘れようとしない、勢いだけではない「意志」を感じさせる。それでも、おれたちは信じてるんだ・・みたいな・・バンプ史上最もカッコよく、心を高ぶらせる曲だと個人的には思う。

朝の混雑について

就職してからというもの、毎日某ターミナル駅の混雑にもまれながら生きていますが、最近プラットホームの電車乗車位置が変わり、以前にもまして混雑がひどくなりました。

昔からずっと思い続けていることなのですが、都会の朝の混雑した人ごみって最悪ですよね。

みんな周りの人間を人間と思わないような感覚で歩いている。ただの障害物としてしか見ていないというか。

そりゃあ、こんなに人間の密度が濃いとそうも思いたくもなるでしょう。

なぜ、みんながそう思っていながら、僕たちはこんなことを続けていくのでしょうねえ?
(僕たち、というのは日本人であり、現代人でもありますが。あるいは「大人」かもしれませんが)

人間は、もっと集合的な知恵を働かせ、みんなで良い社会を作るために動けないものでしょうか。そんなことを言うならまずおまえが動け!と言われそうですが・・・・

人間、一人では弱いもので、他者を信じることができるときに初めて協力や信頼が生まれます。その他者を信じることができるような土台、これは教育であったり、人々に共通の考えであったりすると思うのですが、そういったものを社会でどう共有していくか、ということを考えることが、住みやすい社会にでも繋がるのではないだろうか?

・・・そんなことを考えながら週明けの朝を僕は会社へ向かったのでした。。

一人カラオケに出かけたものの

皆さんは、一人カラオケってやったことはありますか?

僕はありません。正直一人で入るのは恥ずかしいです。

しかし、あまりにも友人と休みが合わず、予定が全くあわないためカラオケに行けない日が続いてます。

僕は歌うのが好きなので、かなりストレスがたまってまして、今日ついに、初めての一人カラオケに行く決意をしました。

別の用事を片付けたあと、自宅マンションから自転車で10分ほどのカラオケ店(一度前を通っただけで入ったこともない店・・)へと向かいました。

しかし

いつの間にか、その店は閉店しておりましたとさ。。

別のところを探す気力もなく、スゴスゴと帰ってきてブログなど書いてる次第です。

一人カラオケの経験談なんかがけっこうネットに載ってましたが、平日の昼間に行ったとかいう記事がほとんどでした。

休みの日はやっぱり混んでるだろうなあ・・

結局確認できずに帰ってきてしまいましたが・・・

闇の迷宮へ 〜イル・バレット・ディ・ブロンゾ〜

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1973年 イタリア

ヘヴィメタル誌 BURRN!の「ユーロ・ロック幻想」というコーナーでこのアルバムを知り、ジャケットと、そのレビューに惹かれて紙ジャケで再発されたこのアルバムを買って、聴いた。

不思議な衝撃だった。

それまで、僕は年代の古い作品は音自体のヘヴィさが足りないからと敬遠する傾向があった。なぜならば機材の発達などによって、現代の方が物理的には激しい音を出せるようになっているからだ。

しかし、この作品を聴いた時にそんな固定観念は粉みじんに打ち砕かれた。

音自体もハードだが、表現している内容の激しさが、それまで聴いてきた現代のどんな音楽よりも濃密で、繊細であったからだ。単純に音だけが激しい現代のヘヴィ音楽を聴くよりも、聞き手の胸に再生されるイメージや感情という点から言えば、こちらのほうがはるかに上だった。

歌詞は非常に抽象的であるため、どのようなことを歌っているのかはわからなかった。だが、暗い妖気と凶暴さを漂わせたそれでいてクラシカルなアレンジ、演奏はこれこそ「バロック音楽とロックの融合」を実現したものだと思う。

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